「ミルクは紅茶より先に入れるのか、あとに入れるのか」論争。じつは意外な歴史があった?―ヘレン・サベリ『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』

「ミルクは紅茶より先に入れるのか、あとに入れるのか」論争。じつは意外な歴史があった?―ヘレン・サベリ『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』

『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』(原書房)

「ミルクは紅茶より先に入れるのか、あとに入れるのか」論争。じつは意外な歴史があった?―ヘレン・サベリ『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』

家族や友人と、あるいは一人でくつろぎたいときに欠かせないのが、お茶とスイーツ。そんな「ティータイム」の歴史をひも解いてみると、見えてきたのは世界の意外なお茶事情でした。本書では、各地でどんなお茶が流通し、食文化として発展していったのかがわかるのはもちろん、アフタヌーンティーの誕生から、温かいマフィンを売り歩くマフィン・マンと呼ばれた男たち、ジェーン・オースティンやココ・シャネルの愛した紅茶、『不思議の国のアリス』や『赤毛のアン』のお茶会、モネら印象派の画家たちが好んだティータイムのスタイル、「ミルクは紅茶より先に入れるのかあとに入れるのか論争」などといった、お茶好きにはたまらない情報にあふれています。 今やわたしたちの暮らしに欠かせないものとなった「ティータイム」の歴史をひもとく『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』の「訳者あとがき」を抜粋して公開します。 ◆『不思議の国のアリス』や『赤毛のアン』のお茶会の背景にあるものティータイムという言葉から一般に広く連想されるのは、芳しいお茶はもちろん、美しい食器、おいしい焼き菓子、束の間のくつろいだひと時などでしょうか。日本古来のお茶を飲む光景と言えば、まず和菓子と緑茶が思い浮かびますし、現代では必ずどこかの高級ホテルやレストランで季節ごとに趣向を凝らしたアフタヌーンティーが催されていて、映画やドラマや絵画でも〝ティー〟の場面はなじみ深く欠かせないものとなっていることからもわかるように、お茶を飲む文化は世界じゅうで育まれてきました。本書は、その起源を茶葉の誕生にまで遡り、普及の歴史を一から簡潔に振り返りつつ、世界各地でそれぞれに築かれてきたティータイムの慣習を旅のように読んでめぐっていただける一冊です。 当然ながら、各国、各地域で独自のお茶の文化が育まれるまでの過程には、交易の歴史、戦争、政情、植民地支配、移民の流入、文学、芸術、土着の食文化、あらゆる娯楽の流行が複雑に絡み合っていました。本書では、それらの結びつきをわかりやすく繙(ひもと)きながら、文学のなかに見られるティータイムにも焦点を当てています。たとえば、ジェーン・オースティンの『マンスフィールド・パーク』でお茶の用意を待ち焦がれるファニー・プライス、『不思議の国のアリス』の〝いかれ帽子屋のお茶会〟、プルーストの『失われた時を求めて』で遠い記憶を呼び起こさせるマドレーヌ、L・M・モンゴメリの出身地プリンス・エドワード島でアンが嬉々として並べる薔薇の蕾の枝木模様の入った茶器などなど。そうしたよく知られた本のなかの風景も、地域ごとに茶が伝来して広まった背景と合わせて眺めてみると、また新鮮な感慨が湧いてきます。◇ティータイムが世界の歴史を動かした ヨーロッパの貴族や富裕層のかしこまったお茶会のエピソードばかりでなく、ごくふつうの家庭でお茶が飲まれていた風景も、人々の日記や回想を引用して鮮やかに描きだしています。18世紀にかのモーツァルトの父親も美味なお茶とバター付きのパンを楽しみに訪れていたロンドンのティーガーデン(2シリング6ペンスの入場料は現代の日本円に換算して2300円ほど)や、エドワード朝時代に華やかさを極めたティーガウンなど、何かと優雅な印象を持たれがちな〝ティー〟ですが、農村部では昔から収穫期に大勢の働き手たちに振るまわれる活力の源の食事でしたし、弔いの席では故人を偲び、人々の哀しみを癒やすものでもあったのです。芸術の世界に目を転じれば、フランスでは画家のモネがジヴェルニーの名高い庭で同じ印象派の画家たちとお気に入りの紅茶を味わい、パリに暮らしたココ・シャネルには足繁く通うティールームに鏡のそばの指定席が確保されていました。 時代が進み、英国、アメリカ合衆国、オーストラリアなどでは、じつはティールームが女性の自立と参政権運動にきわめて重要な役割を果たしたことも見逃せません。家で菓子を焼き、お茶を淹れていた女性たちが戸外で堂々と集う場所を得て、みずから選択する自由を勝ちとるために動きだしたのです。ティータイムはけっしてくつろぐだけではなく、歴史を変えるほどの力を与えてくれたものであったことがおわかりいただけるでしょう。そして現代では、世界的にエスプレッソを主体とした飲み物のカフェが増え、台湾発祥のタピオカティーが大流行するなどしたいっぽうで、古き良き茶店文化を残そうとする動きも世界各地で静かに広がっています。著者が本書で紹介しているインドのイラニ・カフェも存続が危惧されている昔ながらの茶店文化のひとつ。ちょうど今年、そのイラニ・カフェを題材としたNetflix映画『マスカ~夢と幸せの味~』の配信も始まりました。マスカとはバターを意味する言葉です。独特な趣あるイラニ・カフェの映像がたっぷり眺められるので、本書でご興味を持たれた方は機会があれば、ぜひご覧になってみてください。 ◇アフガニスタンの食文化を書き残そう。訪れた転機 著者ヘレン・サベリは英国ヨークシャー出身で、現在の外務・英連邦・開発省に入り、アフガニスタンの首都カブールにある英国大使館で働いていたときにアフガニスタン人のエンジニアと結婚し、1980年まで現地に在住していたとのこと。英国に戻ってから、戦争や国外移住により失われかねないアフガニスタンの食文化を記録しようと思い立ったのをきっかけに、フードライター、食物史研究家の道を歩みはじめました。本書でも、その豊かな経験と知見により、茶文化の解説のみならず、世界各地の多彩な菓子の紹介やレシピがふんだんに盛り込まれ、様々な時代から選び抜かれた美しい写真や絵も、読者の目を楽しませてくれます。 そして、緑茶を飲んできた歴史の長い日本に暮らすわたしたちも、もうすっかり世界各地の人々と同じくらい紅茶に慣れ親しんでいることに改めて気づかされます。茶の知識については日本でも、お茶のすべてを網羅したとされるウィリアム・H・ユーカースの大著『オール・アバウト・ティー』が、お茶を愛し、その奥深い文化を伝達しようと尽くされた偉大な先人の方々により、早くからあらゆる形態で翻訳、出版されており、そうした数々の名著の愛読者のひとりとして、深い敬意と感謝の念に堪えません。本書もユーカースが著した茶の歴史の要点をしっかりと押さえつつ、ティータイムという新たな切り口から、時代ごとの、そして現在に至る、お茶をめぐる多様な世界へ視野を広げています。 わたしのようにお茶関連の本ならもう山積みだという場合でも、本書を加えるにあたってご心配は無用です。すでに蓄えられた知識の整理にきっと役立てられるだけでなく、著者が数多く鏤(ちりば)めた〝小ネタ〟からまた愉快な発見も得られるに違いありません。ティータイムがこれまで以上に大切な時間となっている方々のくつろぎのお供に、楽しく読んでいただけましたら幸いです。[書き手]村山美雪(訳者)[書籍情報]『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』著者:ヘレン・サベリ / 翻訳:村山 美雪 / 出版社:原書房 / 発売日:2021年11月13日 / ISBN:456205963X

原書房