彫刻の伝統的おもしろさ⏤NYで素材と形態の潜在的うつろいを再表現する前竹泰江さん | DIRECTION

彫刻の伝統的おもしろさ⏤NYで素材と形態の潜在的うつろいを再表現する前竹泰江さん | DIRECTION

母国を遠く離れたニューヨークのリッジウッドという街で、ひとりの日本人として地元に根づき、家族をつくり、活動を続ける彫刻家がいる。

前竹泰江さんのスタジオを初めて訪れたのはもう6年も前のこと。目に飛び込んできたのは、天井からぶら下がる籐の大型の作品だった。「一体、何をしているのか」と聞くと「重力に従うための手法。この作品が自立するかは地上に降ろしてみないとわからない」という。床にはハードな溶接機械。壁には繊細な手すき和紙。どういう思考回路の持ち主で他にどんな手法、素材を使うのか?近所に住む日本人として興味が湧かない理由がなかった。以来、観て、聞いて、を繰り返した。

そんな泰江さんに、今春コロナ渦で行われ、大好評のうちに幕を閉じた地元ニューヨークのマイクロスコープ・ギャラリーでの個展や、今秋の日本橋三越コンテンポラリー・ギャラリーでの凱旋予定などについて、今回じっくりとお話を伺った。

今春行われたマイクロスコープ・ギャラリーでの個展「Transmutation(変移)」の展示風景写真提供:マイクロスコープ・ギャラリー、ニューヨーク

マイクロスコープ・ギャラリーは学際的な活動で有名ですが、先鋭的なこの場所で、個人的には初めて正統派彫刻を観たのでとても新鮮でした。泰江さんご自身はどうでしたか?

コロナの時期というのは大きかったです。私の作品は触覚的なので写真などではとても伝えきれないんですが、今回の「Transmutation(変移)」ほど「実物」で力を発揮したものはなかったですね。入場規制もあったのに驚くほど観客が多かったんです。しかも単にSNSで「いいね」が飛び交うのではなく、ギャラリーのディレクターなどから「あの人がこういってたよ」「この人はこうだって」という中身を伴った奥深い会話や肉声をたくさん聞いて。直接メールや電話で感想をくれた人も一番多かったんですよ。

みんなこういうことに飢えていたし、人と距離を取らないといけない時期の反動だったとは思いますが、実物で本領を発揮する価値を観てもらうことでその人が得した気分になれるような機会を作れたのは嬉しかったですね。

「実物での本領発揮」。具体的に何が起きたのですか?

例えば、観客の滞在時間の長さです。今回は小型と中型の作品に絞ったので、誰でも簡単に自分的にドローンになって360度、上からも下からも鑑賞できるという体験を楽しんでもらえたようなんです。私が長年使っている手法、素材について改めて気づいた人も多くて、じ〜っと観るから自ずと鑑賞時間が長くなると。それでわかったんです、私がずっとやかましくいっていたコンセプトを、観客が自動的に伝えてくれることがあるんだと。肩ひじ張らずに物と対峙して作っていい、もっと自分がリラックスしていいと教えてもらいました。

マイクロスコープ・ギャラリー出品作「表象の大気 IV(2019)」(中央) 高58 x 33 x 34 cm みかげ石、動物の骨の寄せ集め、真鍮、ポリ樹脂、テラコッタ写真提供:マイクロスコープ・ギャラリー、ニューヨーク

今回に限らず、泰江さんは様々な素材を使いますが、何が一番好きですか?

地味だけど、鉄(笑) 縁の下の力持ちで、全てを支えてくれるから。これがないと何もできない。あとは今回もそうですが、剥製の動物の骨。骨は体という構造を支える屋台骨なので、使い勝手がいいんです。実際は金属の力を借りないと作品として自立しないけど、比喩的な「骨=構造」というコンセプトが自分の中でまとまったというか。でも観る人にもいろんな理由があるから、「骨は死を想像させる」という感想もいただきましたよ。

自立といえば天井から作品をぶら下げるのもひとつの手法なんですよね。

はい、重力に抗い、吊ることで構成し、それを重力に任せて着地させて制作を終了します。吊る行為は、重力に抗う身振りを見せることでも安住することでもなく、とりあえずの和解、休戦協定とでもいうか。こうして出来た作品はコンセプチュアルな外見ではなく、伝統的な彫刻のおもしろさ、つまり素材の組み合わせと形態のバランスで表しています。

磨く、溶かす、くっつけるなど、手仕事の跡も多く残っていますが得意な作業は何ですか?

研磨!富山ガラス造形研究所という、都会から離れた雲の上にあるような学校でこの技術を学びました。とにかくピカピカにするのが好きで、クラスメイトからは、「磨きの女王」なんて呼ばれていたんです(笑) 時間かかるし面倒くさいけど、錆びた金属が研磨で変遷していくのがおもしろくて。そうそう、富山ガラス造形研究所は今年創立30周年を迎え、記念の展覧会が富山ガラス美術館で10月23日から始まりますが、私もそこに参加します。

新設したスタジオで。制作途中の作品を天井から吊るのは泰江さんの手法のひとつ

「磨いて変遷」など、ずっと続けてきた作業から生み出されるテーマ、特に今回のマイクロスコープについて、私は貝や骨という元々生き物だった素材を使った作品がヘンな顔をしたヤギや強風に耐える崖の上の鳥などに見えてきて、新たな生命体への様変わり、変貌ぶりを存分に楽しみました。一般論として日本人はこういうテーマにより親しみを感じるものでしょうか?

自分はさておき、文学、アニメ、映画など大衆文化のいたるところで日本人クリエイターは生命体、輪廻転生、アミニズム的なテーマを繰り返し使いますよね。「アミニズム」という言葉も日本の専売特許のように使われていますし。でも、そもそも地球はアミニズムで覆い尽くされて始まって、宗教の進化論上ではどんどん組織化されて一神教になっているので、本来それは原始宗教・思想なんです。「太陽を拝みましょう」も、ポセイドンとか擬人化された神様たちが出てくるギリシャ神話も。いまの神道は、この原始的な物の純粋さをそのままの形で組織化させたというより、むしろ洗練させるという珍しい方法でまとめきった気がするんです。神社もあれば神主さんもいるという。たとえそこに行かなくても子どもの頃、おばあちゃんに「石にも命がある」と教わりますよね。これは一神教にはないわけで。

おもしろい話があるんですよ。90年代後半、チェコに留学していたとき「たまごっち」が流行っていたんですが、あれ、命を育てるゲームですよね。で、地元の科学者がいったんです、「この発想は西洋ではあり得ない。命の創造は神の扱う領域だから絶対に触れちゃいけない」と。後になってここでも人気だったと聞いたので、あくまでも彼の見方だったと思いましたが、その時、私はつくづく日本人だと思いましたよ。だって、簡単にこの発想ができて、たまごっちを作っていたかもしれないと想像できたから。

確かに。日本人的には「人はみな神様の家族」ですからね。

私たちにとっては、リアルかつ想像力豊かな世界なんでしょうね。いまでいう「ポリティカル・コレクトネス」とかの窮屈な次元ではなく、地球をもっと大きく見られるというか。

私、ニューヨークに来てコロンビア大学院に入った頃は神だ、神道だってベタにやってたんです、マルクス主義的な勉強が多くてその反動で(笑) その時いわれたのが、「テーマが壮大すぎて日常にかみ合わずピンときません。ポストモダンらしくありません」。それでここまで手を変え品を変えやってきたんですが、そもそも、「壮大なテーマはモダニズムで完了した」などという権利は誰にもないし、これからも人間が解決し切れる問題ではないので、そういう自分の中の基本のテーマは変えずに来ましたよね。

反動があってもテーマを変えずに続けてきて、この街の観客とコミュニケーションが取れたと実感できた展覧会はどれですか?

彫刻の伝統的おもしろさ⏤NYで素材と形態の潜在的うつろいを再表現する前竹泰江さん | DIRECTION

日本というテーマをドンぴしゃりで語り合えたと感じたのは、2017年のチムニー・ギャラリーでの個展です。幸運も重なりました。ディレクターがアミニズムや素材に秘められた力に興味がある人だったので。

2017年のチムニー・ギャラリーでの個展「地階の反転」の展示風景写真提供:チムニー・ギャラリー、ニューヨーク

逆にいうと、そういうことに興味がない人も多いということですか?

そこは十人十色。「まだまだマルクス主義」という人もいれば、その中でニューヨークのトレンド、息吹を吸収する彼女のような人もいる。そうやって「日本」を隠したり取り繕ったりせずに、正直に情熱を持ってニューヨーカーに見せたら、「なるほど新鮮な視点だ。この発想はどこから?ああ、日本の自然史観が入ってるね。そういえば日本人だもんね」のような反応があってとても嬉しかったんです。自分がずっと持ち越してきたアイデアを「日本」というキーワードの押し売りからではなく、自然な順序でそこへ誘うことに成功していたから。

いまマンハッタンのトライベッカでグループ展に参加されていますが、ニューヨークで今年初めて観客を入れて開催されるアートフェア「フリーズ」とも時期が重なって盛会になっているんでしょうね。

ええ、キュレーターはカルダー財団副会長のグリフィン・ルーさんで、自身もサウンド制作をするクリエイター。一緒にいるとすごく刺激的で、しかも最近ドローンという大型アートスペースを構えて、これはそのこけら落としなんです。タイトルは「The Location of Serenity(静かなる場所)」で、彼はさっき話した「永遠という壮大なテーマ」に、例えばリルケやフランク・ハーバートという古典文学も引用しながら真っ向から取り組んでいます。それでいて現代的センスも抜群なので「永遠の今」ともいえる展覧会になっていて。70年代からタットゥー・アートシーンでも活躍してきたエルサ・レンザーや気鋭のヴィクター・ティモフィーヴ、そしてエディ・ナタルの素晴らしい絵画や壁画と共に私は等身大の彫刻も出品、7月中旬までやっていますのでぜひ見にきてください!

そして10月 13日からは日本橋三越コンテンポラリー・ギャラリーで個展が始まります。どんな作品を見せていただけますか?

金管楽器を模した木材での小・中型の作品やアルミを使ったもの、金属の腐食を染み込ませた手すき和紙の平面レリーフ、映像作品などを予定していて、タイトルは音楽用語にしようかなと。制作中にメロディーが浮かぶという情緒的なことではなく、音にも物にも共通する現象学やその操作自体に興味があって。私、どの展覧会もロマンチックなコンセプトや物語から入らないんですよ(笑) 展示は空間性を利用して、静寂に包まれた、研ぎ澄まされた構成を考えています。

日本のお客さんとは、これまでどんな会話がありましたか?

日本の観客の方々と話したことはあまりないのですが、ニューヨークの日本人のアート関係者や研究者などと話すと「日本人らしくない」とよくいわれて・・・・

えっ!なんでですか?

自分が日本人であることを常に意識している日本のアーティストって正直あまりいないと思うんですが、それは戦後の現代アートの教育のせいかなと。「『自分は何者でもない。あるべきではない』がその入口」という文化否定をたたき込まれるので、そうなると、ひたすら日本批判や排除に走るか、すでに世界に認められている「日本的アイコン」で構成するかになります。しかも、どちらも「外国が期待する日本」なのでそれに応えようと無意識にやったり、やらされたり。でも、そんなことをしたところで一体誰が喜ぶの?って。皮肉なことに、私の作品の日本の美意識に敏感なのは、日本のアートに絡んでいない海外の人たちです。

もはや現代アートに限った問題でもないような・・・・

逆に日本に足をつけて、しっかり美術史を勉強している日本人はちょっと違います。そんな友人のひとりと話したら、ArtAsia Pacific誌の私のマイコロスコープのレビュー記事にあった「日本のモノ派との関係」について「想起すべきはモノ派と同時期にあった向井良吉に代表される鉄などによる抽象彫刻!」なんていってくれて。向井の代表作「蟻の城(1962)」はSFに登場する謎の生命体のようで、まさに温かみと無機質が同居する時代を超える作品です。

なるほど〜。おもしろいですね〜!

美術評論家の中原佑介は、「大自然から『鉄』として加工されて取り出される事実から、鉄彫刻は必然的にふたつの貌、ひとつは文明の産物、もうひとつは自然の力の象徴として現れた」といっていますが、この辺の動向はまだアメリカでは注目さえされてないし、日本でも研究不足。話がそれましたが、このおもしろさは「日本人らしさ」を考えられること。その人がいう「らしくない」は本当にそうなの?誰がどこでどう判断したの?って。これからもやることはたくさんあります。

マイクロスコープでの新たな発見とチムニーでの確かな手応え。どうやら日本ではまだまだ未知なる反応に遭遇しそうですね。

日本で日本の方々に真っ当な個展を観てもらうのは本当に初めてで、どういう反応があるかについてはあえて頭、真っ白にしています。予想なんてできないし、したくない(笑) とにかくフレッシュに見せますよ!

楽しみにしています!

泰江さんの縁の下の力持ち、旦那さまのディビッドと娘の愛ちゃんと一緒に

—前竹泰江 

1973年東京生まれ。日本とチェコ共和国でガラス工芸を学び、ニューヨークに移る。2006年コロンビア大学で美術修士号取得。米国内外にて作品を発表、様々なパブリック、プライベートコレクションに作品を収蔵している。主な展示は第10回Sonsbeek(アーネム、オランダ)、 Fons Welters ギャラリー(アムステルダム、オランダ)、 Espacio 1414, The Berezdivin コレクション (サン・ホアン、プエルトリコ)、クイーンズ美術館, (クイーンズ、ニューヨーク)、Fredric Snitzer ギャラリー(マイアミ、フロリダ)、Microscope ギャラリーなど。また文化庁新進芸術家海外派遣制度にてガーナのEl Anatsui スタジオでレジデンシーを行い、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ企画展にも参加。今年10月には日本で初の個展を三越コンテンポラリーギャラリーで行う。ArtAsia Pacific、 Artforum、The New York Timesなどの主要メディアにも多数取り上げられ、近年では革新的な女性彫刻家20人としてArtsyで紹介される。現在ニューヨークのスタジオで制作活動。プラット・インスティチュートの非常勤教授、ペンシルバニア美術大学の客員教授。

—林菜穂子(はやしなほこ)東京出身。ニューヨークでライター、フォトエディター、撮影コーディネイター、広告制作などに携わる。1997年、独立。現在はブルックリンのブッシュウィックを拠点に、アート関連の活動にも取り組んでいる。Instagram: @14cube